「できない人に「やれ」というのと、やらない人に「やれ」と言うのは違うという話」
大阪府の高校で、教師が生徒に黒染めを強要したことが問題になっていました。
が生まれつき茶色なのに学校から黒く染めるよう強要され、精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校3年の女子生徒(18)が府に226万円の損害賠償を求め、大阪地裁に提訴した。27日にあった第1回口頭弁論で府側は請求棄却を求めた。
その高校では、地毛が明るい生徒にも黒染めを強制し、生徒が頭皮の痛みを訴えても姿勢を変えなかったようです。
しかも「黒髪でないと学校行事には参加させない」「金髪の外国人でも黒染めさせる」という趣旨の発言をしている、なかなかのアレです。
「人には人の事情がある」という当然のことについて、いま一度考えてみるべきですね。
みんなができることをできない人は必ずいます。
地毛が明るいこと、黒染めすると頭皮が痛むことなど、その子なりの言い分・事情があります。
でも、まわりが耳を貸さなければ、ただの「協調性のない子」になってしまいます。
「自分にとって当たり前であること」ができない人間に対し、人は時として、無意識に残酷になってしまうのです。
大多数の人は目が見えるが、目が見えない人だっている…
大多数の人は歩けるが、自力では歩けない人だっている…
アレルギー持ちの人だっているでしょう。
そこに「なんで」「合わせろ」と言っても何にも変わりません。
それはその人の個性なのですから。
一方で、やろうとしない、そしてそれを言い訳にして
「それはできません」
という人もいる。
私はそういう人には厳しいです。
サボってるだけなのですから。
つべこべ言わず、やれ。
私のビジネスパートナーも言ってます。
「やればできるんです」はダメなやつだ、と。
やればできるんなら、さっさとやれ、と。
自分を律し、上を目指してるからこそ、できることがどんどん増えて、能力が上がるんじゃないですか?
私はそれを実感してるからこそ、上を目指してるからこそ、挑戦することに言い訳はしません。
自分の人生なので、言い訳しながら「自分はやればできる。やらないだけだ」といい続けるなら、それでいいでしょう。
その人の人生なのですから。